舞台挨拶『ゴンドラ』伊藤智生監督

————— 舞台挨拶詳細 —————
【日時】2017年6月10日(土)18:30〜/6月11日(日)13:15〜
【参加費】映画鑑賞料金(当日券のみ)
【上映作品】『ゴンドラ』
【ゲスト】伊藤智生監督
——- 伊藤智生監督プロフィール ——-

本名/伊藤裕一(ひろかず)〔監督名 伊藤智生(ちしょう)〕

監督 伊藤智生(TOHJIRO)

1956年、東京、六本木に生まれ育つ。区立城南中学在学中から映画監督を志し、明大付属中野高校夜間部在学中に、「働かせてくれ」と円谷プロ門前に座り込み、美術部で働かせてもらう。

1974年4月、夜間部から普通部に転入。1975年3月、同校卒業。

1975年4月、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に第一期生として入学。

1976年~1977年、ATG・馬場プロ作品 森崎東監督「黒木太郎の愛と冒険」製作参加。伊藤は、森崎監督との脚本から参加し、そして自らをモチーフにした映画監督志望の青年役を自身で演じた。この作品で森崎監督は、ドラマの中にドキュメントをちりばめた“ドキュメラマ”という新機軸に挑戦した。この試みは、「ゴンドラ」にも静かに影響を与えている。

横浜放送映画専門学院を卒業後、数々のアルバイト、8mm習作制作を重ねる。

1979年7月、「ゴンドラ」のプロデューサー貞末麻哉子とともに、creative space OM(オム)を六本木に設立。12月、仲代達矢・隆巴主宰〈無名塾〉の公演「渋谷怪談」で演出助手。1980年、「ソルネス」で演出助手。1983年8月OMにて「駆込み訴え」演出。10月、再演。12月、六本木WAVE館オープニングイベントのためのイメージビデオ「ドアを開ければ」監督。

1984年、第一回監督作品『ゴンドラ』着手。1986年4月、完成。

国内での劇場公開の壁には阻まれたが、世界各地の映画祭では評価を得て、1987年10月、渋谷・東邦生命ホールを借りて特別先行上映を敢行。多くの良識ある観客の声援を得て、『ゴンドラ』は、完成より2年を経て1988年4月、テアトル新宿でロードショー公開を果たす。

1989年、外資系の会社からオファーがあり、2本目の映画のコンセプト作り、シナリオ、ロケハンティングで真冬の北海道の紋別に行く。流氷が来る街を舞台にし、親に棄てられ、祖父と暮らす聾唖の少年と、東京から来た踊れなくなったダンサーの女との歪んだ愛の形を描いた「冬の女 winter woman」のシナリオを作成するが、出資する会社との軋轢によりこの企画は空中分解する。この時つくづく「映画は自分の金で撮らないとダメだ!!スポンサーが付く、イコール口が出る」ことを伊藤は思い知る。

1989年、知り合いの紹介で初めてAVを撮る事になり、AV監督TOHJIROが誕生する。

AVの世界は、この時まだキャスティング権はなかったが、伊藤は自ら女優と面接して全て自分のやりたい企画で制作し、メーカーからは一切口出しがなかった。限られた予算だったが、とにかく実験的な事を含め、思うようにやりたい放題に撮りまくった。気がつくと「最初は食うため、ゴンドラで作った借金の返済のため」と思って始めたアダルトビデオの世界に、伊藤はどんどん夢中になっていった。

1997年、レンタル中心だったAVに、セルビデオという新しい流通が現れ、戦場をレンタルからセルビデオに移し、更に伊藤は暴れまくり、AV監督TOHJIROの名を業界で不動のものにした。

2001年、自社AVメーカー「Dogma (ドグマ)」を設立。以後、15年間、自ら精力的に作品を作り続けながら、次世代のAV監督を育ててきた。

2016年、還暦を迎えた。丁度、ゴンドラから30年・・・ついに、2本目となる本編(一般映画)を撮る決意を固め、「ゴンドラ」のデジタルリマスター化を、自らの覚悟の証とした。そんな矢先、今回のゴンドラリバイバル上映のチャンスを頂いた。