舞台挨拶レポート:大野裕之監督 映画『福本清三 どこかで誰かが見ていてくれる』

『福本清三 どこかで誰かが見ていてくれる』
大野裕之監督舞台挨拶を開催しました。

『福本清三 どこかで誰かが見ていてくれる』大野裕之監督舞台挨拶を開催しました

6月27日、『福本清三 どこかで誰かが見ていてくれる』上映後、大野裕之監督をお迎えし、舞台挨拶を開催いたしました。

大野監督は、『太秦ライムライト』で脚本・プロデューサーを務め、福本清三さんと長年親交を重ねてこられた方です。今回の作品は、『太秦ライムライト』撮影時に残された200時間を超える未公開映像や、貴重なインタビュー音声、関係者への新たな取材をもとに制作されたドキュメンタリー。クラウドファンディングや京都市のふるさと納税など、多くの方々の想いが集まって完成した作品でもあります。

舞台挨拶の冒頭、監督は「この作品は皆さんが作った映画です。皆さん一人ひとりが監督なんです」と語られ、まず支援者への感謝を伝えられました。

そして、この映画を作ろうと思った原点について、「映画を作りたいというよりも、福本先生にもう一度会いたかった。その一心でした」と振り返られます。

『太秦ライムライト』撮影時に残された膨大な映像を見返す日々。2021年に福本さんが亡くなられたあとも、「映像の中では先生がすぐ隣にいるような気持ちだった」と語られ、その言葉からは福本さんへの深い敬愛が伝わってきました。

今回、多くの方の心に残ったのは、作品タイトルにもなっている福本清三さんの言葉、「どこかで誰かが見ていてくれる」についてのお話です。

私はこの言葉を、「頑張れば誰かが見ていてくれる」という希望の言葉として受け取っていました。しかし監督は、「これはそんなに優しい言葉ではありません」と話されます。

「見てくれていない人の方が多い。それでも、その気持ちを失わずにコツコツ積み重ねていく。それが福本先生の生き方でした。」

55年以上もの間、切られ役として時代劇を支え続けた福本清三さん。その年月を思うと、この言葉の重みがより深く胸に響きました。結果や評価のためではなく、自分の仕事を誠実に積み重ね続ける。その姿勢こそが、多くの人の心を動かし、亡くなられた今なお人々が福本さんを語り続ける理由なのだと感じます。

また、『太秦ライムライト』制作時の貴重なエピソードも数多く披露されました。

『太秦ライムライト』で印象的なシーンについてのお話では、主演として相手役へ厳しい言葉を投げかける場面を撮影するため、福本さんは19回もの撮り直しを重ねたそうです。半世紀以上、「相手を立てる切られ役」として生きてきた福本さんにとって、人を叱る演技はそれほど難しかった——そんな撮影秘話からも、福本さんという俳優の誠実な人柄が伝わってきました。

後半では、「地域の映画館の役割」についてもお話を伺いました。

チャップリン研究者でもある大野監督は、「映画や笑いは、人が生きていくために衣食住と同じくらい必要なもの」と語ります。コロナ禍で娯楽を失った経験を経て、その価値を私たちは改めて実感したと話されました。

そして、

「地域に映画館があるということは、私たちが思っている以上に大切なことです。豊岡劇場という場所を、ぜひ皆さんで育て続けていってください。」

という言葉をいただきました。

支配人としてその言葉を聞きながら、胸がいっぱいになりました。映画館は映画を上映するだけの場所ではなく、人と人が出会い、文化を受け継ぎ、地域の記憶を未来へつないでいく場所でもある。そのことを改めて教えていただいたように思います。

舞台挨拶の最後には、会場にお越しくださっていた福本清三さんの幼馴染や、大乗寺のご住職からもお言葉をいただきました。福本さんを知る方々だからこそ語れる思い出や人柄が披露され、映画の余韻がさらに深まる、とても温かな時間となりました。

終演後もロビーでは監督を囲んで交流が続き、豊岡劇場に残る大正時代の芝居番付をご覧いただきながら、但馬の演劇文化について語り合う場面もありました。映画をきっかけに、地域の文化や歴史へと話が広がっていく——そんな豊劇らしい一日になったように思います。

ご来場いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

『福本清三 どこかで誰かが見ていてくれる』、そして『太秦ライムライト』は引き続き7/1(水)まで上映中です。

福本清三さんの人生を「劇映画」と「ドキュメンタリー」、二つの作品から見つめることで、その人柄や生き方、そして時代劇という文化の魅力をより深く感じていただけると思います。

ぜひこの機会に、二作品あわせてご覧ください。